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わが子は「不登校児」ではなく、あくまで“わが子”です

2026.07.11
お知らせ

不登校になると、親は急に不安になります。

「どう接したらいいんだろう」
「学校に行かせたほうがいいのかな」
「無理に声をかけないほうがいいのかな」
「不登校の子には、こう対応したほうがいいのかな」

たくさん調べて、たくさん悩んで、たくさん我慢して。
気づいたら、わが子を見る目が少しずつ変わってしまうことがあります。

でも、ひろえ塾でたくさんの子どもたちと関わってきて、私は強く思います。

学校に行けていない。
朝起きられない。
勉強が止まっている。
外に出られない。
人と会うのが怖い。

そういう状態は、たしかにあります。

でも、それはその子の全部ではありません。

その子には、今まで通りの性格があります。
好きなものがあります。
嫌いなものがあります。
笑う瞬間があります。
怒る瞬間があります。
甘えたい時があります。
かっこつけたい時があります。

不登校という状態になっただけで、急に別人になったわけではありません。

「不登校児への対応」を家庭でやりすぎない

学校、病院、行政は、どうしても「不登校児への対応」をします。

それは仕方ありません。

学校は学校として、出席や学習のことを考えます。
病院は病院として、心や体の状態を見ます。
行政は行政として、支援制度や相談窓口を案内します。

それぞれの立場があります。

でも、家庭だけは違います。

家庭でまで、親がわが子を
「不登校児だから」
「不登校の子にはこうしなきゃ」
「不登校児として対応しなきゃ」
と見てしまうと、子どもはどこにも逃げ場がなくなります。

子どもにとって親は、支援員ではありません。
先生でもありません。
カウンセラーでもありません。

親は親です。

変に気を遣いすぎると、子どもも苦しくなる

不登校になると、親は言葉を選びます。

「学校」という言葉を出していいのか。
「勉強しなさい」と言っていいのか。
朝起こしていいのか。
注意していいのか。
普通に叱っていいのか。

もちろん、追い詰める必要はありません。
怒鳴る必要もありません。
無理やり学校へ引っ張っていく必要もありません。

でも、だからといって、何も言えない家庭になってしまうのも違います。

腫れ物に触るように接していると、子どもも気づきます。

「あ、自分は特別扱いされている」
「あ、自分のせいで家の空気が変わった」
「あ、自分は普通じゃないんだ」

そう感じてしまう子もいます。

だからこそ、私は親御さんに伝えたいです。

朝は「おはよう」と言う。
ごはんは「食べなさい」と言う。
ゲームの時間が長すぎたら注意する。
部屋が散らかっていたら片づけるように言う。
できたことがあれば普通に喜ぶ。
面白いことがあれば一緒に笑う。

不登校だからといって、家庭の中の全部を変えなくていい。

わが子に必要なのは「特別扱い」ではなく「普通に見てもらうこと」

不登校の子どもたちは、すでに自分の中でたくさん傷ついています。

学校に行けない自分。
勉強が遅れている自分。
友達と違う生活をしている自分。
親に心配をかけている自分。

本人なりに、ちゃんと感じています。

そこにさらに大人が
「不登校児として正しく対応しなければ」
と構えすぎると、子どもはますます自分を“不登校の子”として意識してしまいます。

でも本当は、子どもが欲しいのは特別扱いではありません。

「自分はまだ家族の一員なんだ」
「学校に行けていなくても、親は普通に見てくれている」
「変に扱われていない」
「自分は自分のままでいていいんだ」

そう感じられることです。

家庭の中で、普通に話しかけてもらうこと。
普通に笑ってもらうこと。
普通に注意されること。
普通に期待されること。

それが、子どもにとって大きな安心になります。

ただし、放っておくこととは違います

「今まで通り接する」というのは、放置することではありません。

学校に行けないなら、学習の場所を考える。
生活リズムが崩れているなら、整える方法を考える。
昼夜逆転しているなら、少しずつ戻す。
外に出られないなら、まずは家族以外の大人と会う練習をする。
勉強が止まっているなら、できるところまで戻って積み上げる。

これは必要です。

不登校という言葉に振り回されすぎると、親も子どもも苦しくなります。

大事なのは、目の前のわが子です。

その子が今、何に困っているのか。
何ならできるのか。
どこからなら動けるのか。
どんな大人なら受け入れられるのか。
どんな環境なら安心できるのか。

そこを一緒に探していくことです。

親が「普通に接すること」は、子どもを信じること

不登校になると、親はどうしても未来が不安になります。

このまま引きこもったらどうしよう。
勉強が遅れたらどうしよう。
高校に行けなかったらどうしよう。
社会に出られなかったらどうしよう。

その不安は当然です。

でも、親の不安が強くなりすぎると、子どもを見る目が
「心配な子」
「問題を抱えた子」
「支援しなければならない子」
になってしまいます。

でも、わが子はそれだけではありません。

今は止まっているように見えても、動き出す力を持っています。
今は学校に行けなくても、学ぶ力があります。
今は自信をなくしていても、また笑える日があります。

親がわが子を「不登校児」としてだけ見ないこと。
それは、子どもを信じることでもあります。

家庭では、わが子を“わが子”に戻してあげてください

学校では「不登校児童生徒」と呼ばれるかもしれません。
病院では「不登校傾向」と言われるかもしれません。
行政では「支援対象」として扱われるかもしれません。

でも、家に帰ったら、ただのわが子です。

小さい頃から見てきた、あの子です。
笑った顔も、泣いた顔も、怒った顔も、甘えた顔も知っている、あなたの子です。

だから家庭では、わが子を“不登校児”という枠に閉じ込めないでください。

今まで通り、声をかける。
今まで通り、生活を整える。
今まで通り、良いことは褒める。
今まで通り、ダメなことは注意する。
今まで通り、家族として関わる。

その普通の積み重ねが、子どもにとっては大きな安心になります。

ひろえ塾・専門塾で大切にしていること

ひろえ塾・専門塾では、不登校の子どもたちを
「不登校児だから」
という目だけで見ることはしません。

その子がどこで止まっているのか。
何ができるのか。
どこから学び直せるのか。
どんな声かけなら動けるのか。
どんな環境なら安心して通えるのか。

一人ひとりを見て、関わります。

不登校という状態はあります。
でも、その子の可能性まで止まったわけではありません。

親御さんにも、ぜひ思い出してほしいです。

わが子は、不登校児である前に、あなたの大切な子どもです。
不登校という枠で見すぎず、今まで通り、わが子として接していきましょう。

その上で、学習や生活リズム、外に出る練習、人と関わる練習は、必要なタイミングで一緒に整えていけばいい。

家庭は、子どもを評価する場所ではなく、
子どもが「自分はまだ大丈夫」と思える場所であってほしい。

ひろえ塾・専門塾は、その次の一歩を一緒に作っていきます。不登校・発達障害・学習の遅れでお悩みの方はご相談ください。

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